すごい論文のトップはノーベル財団が決めます。
でも、すごい論文は当然他にもいっぱいある。
そういう論文を、私たちは日々研究室のセミナーで紹介します。
一方、やばい論文のトップはイグノーベル協会が決めます。
当然、こちらはこちらで他にもいっぱいある。
でも、やばい論文はすごい論文に比べ、紹介の機会が乏しいのも事実。
「この論文がやばい」では、イグノーベル賞を取るほどではないけどちょっと尖ってて面白い、そんな論文を紹介していきます。
本日のお相手は微生物学研究者、Yu Nakajimaさん。
小さい頃に「お金触ったあとは手を洗いなさい!」と怒られた全ての人に捧ぐ、「汚れたお金」のお話しです。
それではこの論文がやばい vol. 1「Dirty Money」、スタートです!
こう聞くと政治や犯罪の匂いがしなくもないですが、今回「この論文がやばい2021」で紹介するのは、
文字通りの「汚れた」お金の話題です。
論文タイトルは
日本語に直すと、
「汚れたお金: 飲食店にある世界中の通貨の衛生状態の観察」となるでしょうか。
オープンアクセスではないため、論文が読めない方にもなるべく伝わるように努力します。
さて、電子マネーの普及が進む昨今ですが、紙幣(貨幣)というのは人の手が直接触れるということもあり、いうまでもなく経年劣化し見た目としても「あー、汚いお金だな」というのがわかるようになってきますよね。
今回、この研究グループは、オーストラリア・ブルキナファソ(初めて聞いた)・中国・アイルランド・オランダ・ニュージーランド・ナイジェリア・メキシコ・イギリス・アメリカからそれぞれ紙幣を集め、
どれくらいの細菌がいるかというのと、その紙幣の性質を比較しお金の汚れ方(衛生状態)を評価しました。
ちなみに、過去に(それも1900年以前から)、紙幣が病気の原因となる微生物を媒介するのではないかという問題は提起されてきたようです。
(Schaarschmidt, 1884; Hilditch, 1908; Morrison, 1910; Boyer, 1921; Ward and Tanner, 1921)
お金集め
汚れたお金の研究を行うには、研究費だけでなく、物質としてのお金が必要です。
Table 1によると、今回集められた紙幣はその”素材”的な性質で大きく2つに分けられます。
1つはポリマー素材で、もう1つはコットンベースの紙幣です。また、よく使われる額の2種類がサンプルとして用いられています。
ご丁寧にどんな飲食店から紙幣が主に集められたかまでしっかりと記載されており、サンドイッチバー(サブウ●イ的な?)・ コーヒーショップ・露店・スーパーマーケット・肉屋・カフェテリア・ファストフード店とのこと。
たしかにたくさんの人が利用するし、お金の動きも激しそう。
微生物学的実験
付着していた細菌を培養し、特に大腸菌(Escherichia coli)、黄色ブドウ球菌(Staphylococcus aureus)、セレウス菌(Bacillus cereus)、サルモネラ菌(Salmonella属)については、それぞれを検出するような培地で培養を行いました。
もちろん、顕微鏡を用いた観察もされています。
どれくらいの細菌がいそうなのか
- 調べ方
さて、それぞれの紙幣にどれくらいの細菌がいそうなのか、その衛生状態を把握するために定量的なデータが取られたわけですが、
以後、特別に記載しない限りは「細菌の数」は「Colony Forming Unit (CFU)」で表すものとします。
CFUは、どのくらいの細菌が寒天培地状に生えてきたのかという数で、例えば1mLのサンプルAとサンプルBを寒天に撒き、片方は40個、もう片方は5個のコロニーが観察された場合、前者の方が細菌が多かっただろうと予想できます。
ただし、コロニーを作る/作らない(/見えないくらい小さい)という違いがそれぞれのグループによって違うため、正確に「何匹いたか」を反映するわけではないことに注意が必要です。
(余談ながら、例えば海水や湖の水、土壌といった環境中に生息する細菌は何匹いるかとCFUとの間には大きく乖離があり、コロニーを形成しているのは1%未満と言われています。)
- 結果
それぞれの紙幣において、細菌の数の範囲をプロットしてみると、中央値として最も小さかったのはオーストラリアで、ついでニュージーランドでした。
両国とも、ポリマー紙幣という性質の国であることがわかります。
平均的には、ポリマー紙幣は、コットン紙幣の25%という低い数値のようです。
しかし、メキシコのポリマー紙幣(コットン紙幣も調べられているので差別化)は、全体を通してみると低いものの、3番目に中央値が小さい紙幣とはなりませんでした。
コットン紙幣の中で一番少ないのはアイルランド(全体の3番目)で、アメリカ、イギリス、オランダと続きます。
中央値で最も高い値となったのは中国で、(オーストラリアが約2/cm2に対し)100/cm2という非常に高い値です。
また、中央値ではなく、最大値で比較すると、ナイジェリアが1000/cm2、中国もそれに並ぶくらいの数となっています。
(この辺、細かい数字が読めないので、あくまで対数グラフからの見た目です)
統計的な解析により、各国間の細菌の数には基本的には(一部のペアを除き)どの二国間をとっても有意であることが示されています。
つまり、国ごとに明らかに紙幣上の細菌の数が何かしらの要素によって変化しているだろうということです。
閑話休題
この記事の筆者、Yu Nakajima の趣味の1つは国内外の貨幣・紙幣集めです。紙幣については特にインフレ紙幣が好きで、あの有名なジンバブエドルについては10兆ジンバブエドル札を持っています。
Trillionなんて普通使わないですよね。中段にあるのはユーゴスラビアの5億ディナールです。
一番上にあるのは、ハンガリーのペンゲー(ペンゴ)紙幣なのですが、一見あまりインフレ紙幣っぽさを感じません。
これは
EGY=1
MILLIARD=10億
MIL=100万
ということで10億100万=1000兆となります。1000兆ペンゲー。
ペンゲー紙幣は市場流通した紙幣としては1垓までインフレしています。(準備段階としては10垓まで作成されていました)
せっかくですので、例のやつ、いっときましょう。
素材以外の要素は?
さて、論文中で次に議論されているのは、「経済自由度指数」です。これについては、私自身も素人なのでコトバンクを引用しますが、
世界各国・地域の経済自由度を測る指数。世界銀行、国際通貨基金(IMF)などの統計情報を使用して指数を計算する。法律や市場の開放度など4分野の経済自由度に関する10項目について、それぞれ100点満点で評価を行い、それらを平均した値が、その国・地域の最終的な指数となる。項目は「財産権の確保」「汚職の少なさ」「政府支出」「財政の健全性」「ビジネスの自由度」「労働の自由度」「通貨の自由度」「貿易の自由度」「投資の自由度」「金融の自由度」である。
だそうです。
この経済自由度指数と細菌の数をプロットしてみると、”非常に強い”相関がみられたとのことです。
これは、この指数が高い方が細菌の数が少ない、指数が低くなると細菌の数も増えるという負の相関が示されています。
ポリマー紙幣・コットン紙幣関わらず、この相関が見られたことから、
上に書きました「メキシコのポリマー紙幣はコットン紙幣のアイルランドより細菌の数の中央値が高い」というのは「経済状況」という要素で説明できそうです。
図としては示されていませんが、国内総生産や人間開発指数と呼ばれる他の経済的数値とも相関が見られたことが書かれています。
では、この経済自由度指数はなぜ細菌の数に強い影響を与えているのでしょうか?
論文によると、(これは経済学的な先行研究で)一般的に社会的な衛生インフラが、この指数が低いような国々では限られていることと関連しているようだと書かれています。社会経済の発展と公衆衛生の改善とを結びつけるような先行研究(Taylor and Hall, 1967)や、逆に、基本的な衛生設備の改善は経済的な進歩と結びつけられている(Netto, 1968)ようです。
(論文では紙幣の古さと細菌の数について次に少し触れられていますが、あまり面白くないので飛ばします。要は古いほど沢山細菌がいるという結果です)
紙幣の上に”やばい”細菌はいるのか?
これまでは数字として細菌の数(CFU)の観点からどのくらい細菌がいるかというのを見てきました。実際、たくさんの細菌がいると、汚れているといえるでしょうし、気持ちとしては「やばい紙幣」、触るのすらもなんなら危険なのでは?と思ってしまうかもしれません。
しかし、ここは落ち着いて危ないかどうかを「病原性」という観点からの評価を読んでみましょう。(上記の方法において特定の細菌の検出を試みたという部分がここにつながります。)
・E. coliやSalmonella属細菌については、一般的にもよく知られていますが、食中毒を起こします。
・S. aureusは食中毒の原因になりますが、ヒトの皮膚によくみられる常在菌です。
(つまり紙幣に触れている以上はS. aureusが一定数見られるだろうということで他の細菌に対するバックグラウンドデータとして使われます)
B. careusは芽胞を形成するため、ちょっとやそっとでは殺せないような状態になっている可能性があります。
つまり、細菌が紙幣の上に長く残留し得るかどうかの評価に使われました。
【朗報】
特定の病原体の存在と、紙幣の材質や経済的な指数などのの外的な影響との間には明確な相関は見られない
ということです。
どれくらいの紙幣(number of banknotes)からそれぞれの病原菌が出てきたのかが最後の図に示されており、論文としては、
“大腸菌は、アメリカと中国の紙幣ではそれぞれ55%と50%であったが、他の国では25%と比較的低い割合で検出された”
とあります。いや、低いか?25%・・・。
より深刻な食中毒を引き起こすSalmonella属の細菌については多くの国の紙幣から検出されなかったものの、一部(アメリカ・アイルランド・中国)から数%程度存在することが確認されたようです。ブルキナファソでは60%となっていますが、なぜか本文で触れられていません。(n=20と低いせい?)
予想通り?S. aureusは多くの国々で高い割合で検出されていました。B. careusはニュージーランドや中国で高いものの、ほとんどの国で低いという結果となりました。
あまりこの論文では、「この後」の調査や考察がされていません(つまり、あくまで種の検出として病原菌に含まれているだけでそれぞれの株の病原性まで調べているわけではなさそう)。
ちなみに、“Dirty Money: A Matter of Bacterial Survival, Adherence, and Toxicity”というDirty moneyの次回作?でどのくらい生存し得るのか、付着している細菌についての報告がされています。こちらはopen accessなのでどなたでも読むことができます。
(ここでは紙幣だけではなく貨幣の話も出てきて、硬貨については金属による生存の抑制効果が示されています。硬貨だけに。)
さて、まとめると、
- 紙幣の上にいる細菌は、その材質やどこの国であるかという経済状況によってその数が大きく左右される。
- しかし、種類としては一貫した法則性のようなものはこの研究の範囲では見つけられていないよう。
- 病原体となり得るような細菌は(一応)低い割合で紙幣上に存在している。たまにやばい細菌がやばい割合でいる。
となるでしょうか。
論文的には、
- 付着している細菌の数を減らすには、材質を変えること(ポリマーがいいよ)
- 長期間、使い古した紙幣を流通させるのではなく、取り替えましょうね
- 紙幣に付着した細菌からの食中毒のリスクを減らすには、物理的にお金と食品を扱うところを分離するか、手袋をはめよう
ということが提案されていました。(そりゃそうだ)
論文の最後の部分が、
Note, this latter suggestion is merely a reiteration of a statement made by Boyer in 1921: ‘‘ . . . run a risk of infection . . . by handling dirty money and their bread or fruit without first washing the hands.
つまり、
手を洗おう!!汚い手で食べ物を触るな!!
的な文で締め括られているのがなかなかシュールだなと思いました。
さて、「この論文がやばい2021 vol. 1」では、私 Yu Nakajima が汚れたお金Dirty Moneyという話題をお届けしました。
汚れたお金には、文字通りの「マネーロンダリング」が必要なのかもしれません。
以上、ご拝読いただき、ありがとうございました。
終わりに
Nakajimaさん、ありがとうございました!
「お金はいろんな人が触っているから汚い」これに異を唱える人はいないと思いますが、改めて科学的に検証してみると説得力が増しますね。
サンプル集めの様子も気になります。やっぱりお釣りでもらうお金が汚ければ汚いほどテンション上がったりしたのでしょうか。
このような都市環境や人間の生活と微生物を結びつける研究は都市工学や公衆衛生の分野で行われ、関連研究室としては以下のような研究室があります。
広島大学 環境遺伝生態学
また、tayo.jpでは他にも微生物学を学べる研究室の大学院生募集情報が多数掲載されています。
見えない生き物の研究をしたい方、覗いてみると良いのではないでしょうか!
海洋微生物
東京大学 大気海洋研究所 生物遺伝子変動分野 & 新領域創成科学研究科 吉澤研究室
植物微生物
岡山大学 植物環境微生物学グループ 谷チーム
岡山大学 農学部植物病理学 能年研究室
光合成微生物
東京都立大学 生命科学専攻 分子遺伝学研究室 微生物分子生理学グループ
医学系微生物
金沢大学 医薬保健研究域医学系細菌学
ではまた。